あの人たちが、私たちのいろいろなことばで神の大きなみわざを語るのを聞こうとは。
(使徒2:11)
イエス・キリストが十字架にかかり復活してから50日ほどして、不思議な出来事が起こった。皆が一つに集まり、祈りに専念していたとき、天からの響きに家が包まれ、炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまったのだ。皆は聖霊に満たされて、他国のことばで話し出した。
旧約聖書には、人間の高ぶりのために、一つだったことばが別れ、人間は散らされたというバベルの塔の記事がある。しかし、離散した者を追いかけるかのごとく、神の福音はユダヤ人だけでなく、他言語の国々の人にも広がっていく。
クリスチャンも迫害と離散の歴史を繰り返している。しかし、その散らされたところで福音の種がまかれ、芽を出し、実を結んでいく。そうして福音が前身していく。神の舌が「ひとりひとりの上にとどまった」いうのは、それぞれに語ることばが与えられること。人は、人との交わりの中で、人の傍らに寄り添ってでしか語れないことば、その人にしか語れないことばがある。
この出来事を見た人たちは非常に大きな驚きに包まれる。かみのみわざは驚くべき奇跡。この人間を愛し、見出し、身代わりに死んでくださった──それはまさに驚くばかりの恵みなのだ。
御霊に満たされ神のみわざを語る者とされるよう、祈っていこう。