御恵みを惜しまれない主

生きている者にも、死んだ者にも、御恵みを惜しまれない主が、その方を祝福されますように。

(ルツ記 2:20)

 まことの神を信じ畏れているボアズがルツに親切にする姿は、イエス・キリストが人類に対する恵みの型、予型であると言われている。ボアズの姿から、神様がどのようなお方なのか、知ることができる。

 食事の時間、ボアズは、外国人であり、穂を恵んでもらっている身のルツに「ここに来て」と、使用人と一緒に食事をするように招く。彼女はそこで十分に食べることができた。私たち人間も神の前に出る資格のないものが、主の食卓に招かれているのである。そこに神の国の不思議さがある。

 またボアズは、「束の間でも」ルツが穂を拾うように使用人たちに指示する。あふれんばかりの神の恵みを無駄にすることのないよう、私たちは束の間を惜しんで、絶えず祈ることが必要なのだ。

 そして、ルツに畑のそばを離れることのないようにと諭す。イエス・キリストが、ご自身のもとを離れたら、人は実を結ぶことができないと話されたとおりである。

 私たちの営みは、自分で仕事をし、自分の力で働き糧を得ているように思ってしまうが、実は神が「わざと穂を抜き落としておいて」くださる、それを拾っているにすぎないのだ。

 主が用意してくださるあふれんばかりの祝福に招かれているとは、なんという恵みだろうか。