あなたはだれですか

 私は、……主の道をまっすぐにせよ」と荒野で叫んでいる者の声です。(ヨハネ1:29)

 

 悔い改めを説いてバプテスマ(洗礼)を授けているヨハネのうわさは 国中に広がり、ユダヤ人たちは「祭司とレビ人」を遣わして、ヨハネが何者なのか、突き止めようとする。「私はキリスト(メシヤ)ではありません」とヨハネは言明する。さらに、再来のエリヤ(マラキ4:5)なのか、もうひとりの預言者(申命記⒙:15)なのか、という問いに、「『主の道をまっすぐにせよ』と荒野で叫んでいる者の声」だと答える。あくまでも自分は、ことばとして来られたイエス・キリストを伝える“声”──主のメッセージを伝える媒体──である、という自覚を持っていた。

 「なぜ(何の権威で)バプテスマを授けているのか」と問い詰めるが、「あなたがたの知らない方」とキリストの到来に言及し、翌日実際に目にしたイエスを指し示して、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」と言った。

 「あなは誰?」「あなたは何者?」と尋ねられた時に、何と答えるだろうか。この世の社会生活での肩書・立場や、人が自分をどう思うかというよりも、神が自分を何と呼んでいるのか、神が自分をどう見ているのかに心をとめていきたい。「愛する者、神の子、神の所有、神の証人、世の光、地の塩、友……」。

 バプテスマのヨハネがこの世の肩書ではなく、神からの召命によりキリストを証ししたように、自分は何者なのかを知る時に、自分にしかできない役目を知り、使命に生きることができる。私たちは、神のものなのだから。

 「わたしがあなたを贖ったのだ。…… あなたはわたしのもの。」 (イザヤ書 43.1)