星を目指して

その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。

(マタイ2:10)


 東方の博士たち(当時のペルシャ・アラビアあたりの天文学者)が不思議な星を観測し、それが旧約聖書に予言されているユダヤの王の誕生ではないかとエルサレムにやって来た。過去のバビロン捕囚などでユダヤの文化的・知的財産が東方の国に渡り、博士たちもいくらか聖書の資料を持っていたのであろう。自分の王座の危険を感じたヘロデ王は、祭司長たち・学者たちを集めて問いただし、キリストはベツレヘムで生まれると預言されていることを知る、さらに博士たちを呼んで、星の出現の時間を聞き出し、逆算して幼子の誕生の日時を推測する。そして「私も行って拝むから」という口実で詳細を知らせるように依頼した。それはもちろん自分の地位を危うくする者の存在を早く消してしまおうと企んでのことであった。博士たちは出かけると、星が彼らを先導し、ついにイエス・キリストのもとにたどり着く。博士たちはそ「この上もなく喜」び、幼子を礼拝し、高価な贈り物をささげた。

 博士たちは救い主(メシア)について、どの程度の知識・信仰をもって旅に出たのかは定かではない。旅の第一の目的は学術的な調査であったのかもしれない。しかし、星が彼らを導き、まことの神に出会うことができたのだ。

 人がまことの神を信じる信仰を持つという出来事は、ただ、神の恵みによること。しかし、ここに真理があるのではと聖書を読み、まことの光を求めていくときに、主の御霊が私たちをイエス・キリストのもとに導いてくださる。初めから信仰も持っていなくても、まことの光を求めて歩みだしていくときに、聖霊の働きにより、イエス・キリストが神であることを確信していくことができるようになる。

 「幼子を見、ひれ伏して拝んだ」(2:11)。クリスマスという言葉の語源は「キリストを礼拝する」

という意味。異邦人の博士たちのように、私たち日本人も、まことのクリスマスを迎えることができる。主の恵みに感謝しよう。