神の霊が注がれると……

その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。

すると、彼らは預言する。(使徒2:18)

 

 主イエスが復活して天に昇られて後、イエスを信じる人々が集まって祈っていると、天から炎のような分かれた舌がひとひとりの上にとどまり、いろいろな国のことばで神のみわざを話し出した。この異様な光景に、彼らは酔っているのだという者もいた。するとペテロは皆の前に立ち、大声でこれはヨエルの預言の成就だと語る。

 かつてイエスが捕えられたときに、恐れてイエスを否認した男が、ここでは力強く神のことばを語っている。それは復活したイエスに出会ったことはもとより、聖霊の力が注がれた故であった。神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。「御霊により、力をもって、あなたがたの内なる人を強くしてくださいますように」(エペソ3:16)とあるように、御霊は私たちの内面を強くしてくださる。

 ヨエルの予言によれば、主を信じる者すべてに御霊が注がれ、預言をするのだという。預言は神のことばを預かること、神のことばはイエス・キリストを指し示している。御霊に満たされた者は、イエスキリストを証しする者となる。

 信仰を持つことも力強く神を証しする者となることも、人の力ではなく、神の霊の力だけがなせること。主の恵み、憐れみなのだ。ただ主を畏れ、神の霊の働かれることを祈っていこう。