涙の夜も

主は私の泣く声を聞かれたのだ。(詩篇6:8)

 

 詩篇6篇は、疲れ果て、嘆きの涙の中にある時の詩。この詩の作者は、まるで神が自分を責め、懲らしめているように感じている心境を吐露する。

 しかし、ここで詩人は、ひとつの解決を見出す。それは、主が私たちの泣く声を聞かれたということ。天地万物を造り、世界を統べ治めておられる神が、自分の声に耳を傾けてくださり、すべてを知っておられるのだ、という確信。「主は私の泣く声を聞かれたのだ。主は私の切なる願いを聞かれた。主は私の祈りを受け入れられる。」(詩篇6:8,9)

 神を信じていても、まるで神に見放されているかのような苦難が訪れることもある。しかし、目は見えなくても、神はともにおられ、私たちの泣く声を聞かれる。祈りが聞かれることと願いが叶うこととは違う。状況・環境がすぐには変わらず、願ったこととは違う結果になるかもしれない。信仰者の姿勢は、神は祈りを聞いてくださり、すべてが全能の神の御手に握られていることを信じ、主のはからいを受け止めていくこと。そのときに私たちに揺るがない平安が与えられる。

 キリストは語る。「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。……そうすればたましいに安らぎが来ます」(マタイ11:28,29)。

 主のもとで泣き、荷を下ろし、まことの平安のうちを歩んでいきたい。