神の小羊

見よ。世の罪を取り除く神の小羊。

(ヨハネ 1:29)

 

 バプテスマのヨハネが人々に悔い改めを説き、洗礼を授けていたとき、自分のほうに来イエスを、「見よ。世の罪を取り除く神の小羊」と紹介した。

 かつてイスラエルの民がエジプトで奴隷状態にあった時に、神がエジプトのすべての初子を撃つという災いを下したが、羊・山羊の血を鴨居と柱に塗った家には、その災いを過ぎ越したという出来事があった。また、民の贖罪のために小羊が神殿で捧げられていた。これらの小羊の犠牲が暗示していたのは、このイエス・キリストだというのだ。また、当時すでに、水のバプテスマによって悔い改めを表す習慣があったが、バプテスマのヨハネは、キリストこそがやがて聖霊によってバプテスマを授ける方だと言った。

 聖書の出来事や儀式・典礼において、私たちはそこにキリストによる救いの予型・雛形を見ることができる。

 「見よ。世の罪を取り除く神の小羊」とヨハネが言った一言に聖書のメッセージが集約されていると言っても過言ではない。このイエス・キリストを見ること。そのことば、わざを知ること。人類の罪を負って身代わりに十字架で神のさばきを受けてくださったことにより、人類の罪を贖う小羊となったキリスト。さらに信じる者を神の霊によって新しく生きるものとしてくださるキリスト。私たちの礼拝は、この方を見、そのみわざを心に刻むということ。この神を称え、感謝しつつ、歩んでいこう。