いのちの道

あなたは、私にいのちの道を知らせ、御顔を示して、私を喜びで満たしてくださる。(使徒2:28)


 五旬節でのペテロの説教は続き、ダビデ王はキリストのことを先取りしてこのように歌っていると、詩篇16編を引用する。ダビデは、「いつも、自分の目の前に主を見ていた」。様々な出来事に遭遇した時に、いつもそこに神の存在・神の主権を認める信仰者の姿勢がそこにはある。同時に主は揺るがない巌となって「右におられ」、すなわち傍らにいて守ってくださる。「それゆえ、私の心は楽しみ、私の舌は大いに喜んだ。さらに私の肉体も望みの中に安らう」と、主に信頼する者は、その全人格が楽しみ、喜び、望みと平安のうちに過ごすことを語る。さらに、「あなたは私のたましいをハデスに捨てて置かず」と、主を信じる者は、死が死で終わらない。たとえ、打ちのめされ、倒され、絶望だと思えるようなときでも、主は「私にいのちの道を知らせ」てくださることを語る。

 自らの罪のためにいのちを失ってしまった人類。しかし、神の御子がナザレ人イエスとなって地上に来られ、人として歩まれ、すべての人の罪を背負って犠牲となり、さらに復活し、いのちの道を私たちに用意してくださった。感謝しつつ、このいのちの道を歩み、さらに豊かないのちを頂いていこう。