私たちのための十字架

イエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と叫ばれた。これは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。(マタイ 27:46)

 

 マタイの福音書は、イエスが十字架で処刑されたのは、宗教的エリートたちの妬みが発端だと語る。彼らの行いが形だけで、心は遠く神から離れていることをイエスが非難したためだ。彼らは怒りに燃え、イエスを処刑にまで追い込む。しかし実は、イエスは「自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われ」たのである。(Ⅰペテロ 2:24)

 十字架の上でイエスは「本当にお前が神の子なら十字架から降りてみろ」とののしられる。無論、神の力をもってすれば可能だが、あえて、そうはなさらなかった。それは、イエス人間の罪を負い、処刑されることが神のみこころだったからである。

 イエスは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という詩篇22篇のことばを引用して叫ばれた。本来、この叫びは人間が神の前に立ち、その罪のゆえに裁かれるときに上げる声。しかし、イエスが私たちの代わりにさばかれ、このことばを叫んでくださったのだ。

  「ここに愛があるのです。」 (第一ヨハネ 4:10)