この方はまことに神の子であった

この方はまことに神の子であった(マタイ27:54)


 イエスが十字架上で息を引き取られた時、神殿の聖所と至聖所を仕切る幕が真っ二つに避けた(マタイ27:51)。これは、イエスの贖いのわざが完成し、イエスを信じる者にとって神との人との隔ての壁はもうなくなったことを意味する。

 今、私たちは、イエス・キリストという神殿でいつでも礼拝することができる。さらに私たち自身が教会(エクレシア=召し出された者)、すなわちイエスのからだとなり、新しいいのちに生きるものとなった。これが私たちの復活の始まりである。

 イエスを捕らえ、見張りをしていた者さえも、イエスの贖いのわざを目の当たりにしたとき、心に畏れが生じ、「この方はまことに神の子であった」と、信仰告白ともいえることばを口にする。

 イースターのこの時、私たちも、このまことの神の前に畏れをもって厳粛に過ごしたい。