イエスを慕って

 そこには、遠くからながめている女たちがたくさんいた。イエスに仕えてガリラヤからついて来た女たちであった。(マタイ27:55)


 イエスが十字架にかけられ、息を引き取られた時、イエスを慕い、最期を見届けた者たちがいた。マグダラのマリヤは、かつてイエスに7つの悪霊を追い出してもらった女性(ルカ8:2)。ゼベダイの子らの母は、イエスの弟子となったわが子たちを思い、将来イエスの左右の座につけるよう願い出るが、厳しくイエスに諌められたという経験を持つ(マタイ10:26)。また、イエスの遺体の下げ渡しを申し出て、自分の新しい墓に葬ったアリマタヤのヨセフは、正しくりっぱな議員だったが、ユダヤ人を恐れてイエスの弟子であることを隠していた(ヨハネ19:37)。皆それぞれ、異なる弱さがあったが、イエスと出会い、交わっていくとき、イエスを慕い、愛し、仕えていく心が生まれてきたのではないか。

 イエスが歩まれた道をたどり、イエスが招かれたところに自らの身を置いていくのが、信仰者のあり方。今もイエスがおられるところに、私たちは集まろう。