神の似姿として

あなたは、人を、神よりいくらか劣るものとし、 これに栄光と誉れの冠をかぶらせました。(詩篇8:5)

 

「神よりいくらか劣るもの」、つまり被造物の中でも特別に人は神に似せて造られた。神のからだを構成する各器官であるひとりひとりは、個性が生かされてその役割を果たすようになる。そして神は「御手の多くのわざを人に治めさせ」(6)てくださる。ここでダビデが直接的には人間のことを指している「人」は、新約の光に照らされた時、キリストのことでもあり、(Ⅰコリント5:27)、アダムはキリストのひな形であって( ローマ5:14)キリストが万物を従わせ、そのキリストの栄光に私たちが導かれている(ヘブル2:10)のだという。このキリストの似姿として、私たちは造られ、導かれているとは、何という驚くべき恵みだろうか。詩篇8篇の中に描かれている絶対的な神の偉大さ、壮大なご計画、はかり知れない神の恵みの前に、私たちはただ畏れおののくばかりだ。