主の家を思う

弟子たちは、「あなたの家を思う熱心がわたしを食い尽くす」と書いてあるのを思い起こした。(ヨハネ2:19)

 

 過ぎ越しの祭りのためイエスがエルサレムを訪れた時、宮の中にいた牛・羊・鳩を売る者、両替人たちを追い出したという「宮きよめ」と言われる記事。神を敬い礼拝することよりも私腹を肥やすことに人々の心が向けられていたことへの神の嘆き・憤りが表わされている。弟子たちは、イエスの神の宮への熱い思いが自身を受難に導くことを予見し、「あなたの家を思う熱心がわたしを食い尽くす」という詩篇69篇のことばを思い起こした。ユダヤ人たちは「あなたがこのようなことをするからには、どんなしるしを見せてくれるのですか」(18)と、何の権限によるものか、イエスに問いただす。イエスは、「この神殿をこわしてみなさい。わたしは3日でそれを建てよう」(19)と、自身のからだをさして答えた。イエスの受難の生涯こそが、神のひとり子、まことのいけにえとなり人類の罪を贖うメシヤ=キリストであると自身をあかしされたのだ。

 今、「聖霊の宮」(Ⅰコリント6:19)である私たちは、このからだを礼拝の場として、きよく、神を畏れつつ、歩ませていただこう。